戦争により一旦ピアノ作りを中断されたヤマハは、終戦の2年後、1947年(昭和22年)にはピアノの生産を再開し、終戦のわずか5年後、1950年(昭和25年)にコンサートグランドピアノFCを完成させました。
40年以上前(1976年以前)に販売されていたアップライトピアノは、U,M,UX3,Wシリーズなどでした。今回は、気になるU,Mシリーズの買取価格について調べてみました。
1976年までの、ヤマハピアノの歩み
40年以上前となると、年代は1976年(昭和51年)以前に遡ります。
ヤマハピアノは1900年からピアノ作りを始めましたが、太平洋戦争のため、一旦生産をほとんど辞めざるを得ませんでした。
終戦後、ガレキのまだ残る状態での再スタートを切ります。1947年(昭和22年)にはピアノの生産を再開し、終戦からわずか5年の1950年(昭和25年)にコンサートグランドピアノFCを完成させました。
また1965年(昭和42年)静岡県にアップライトピアノの専用工場を作り、乾燥室など大量生産の仕組みを作り、それまでは手作業のため数も少なく値段も高く、庶民が持つことなど叶わなかったピアノを安く提供することができるようにしました。
ピアノを大量生産する仕組みを作ったのも、ヤマハの功績の1つです。
大量生産を目指しながら、音質への追及も忘れない。どちらが欠けても一流のメーカーといるはずもなく、ヤマハはそれを忘れずにいたからこそ、今も世界のトップメーカーとしてあり続けていられるのだと思います。
40年前のヤマハアップライトピアノの買取価格 U1?U7シリーズ
40年以上前のヤマハアップライトといえば、まずUシリーズ(1?7)、Mシリーズ、UX3シリーズ、Wシリーズなどがあります。
機種 | 販売 | 販売価格 | 買取価格 |
---|---|---|---|
U1B | 1954?1959年 | 22万 | 不明 |
U2A | 1954?1963年 | 21.8?23万 | 0万円 |
U2B | 1963?1965年 | 21.8万 | 1万円 |
U3A | 1954?1959年 | 26万 | 011.3万円 |
U3B | 1954?1963年 | 26.5?28万 | 27?30万円 |
U5A | 1961?1964年 | 30万 | 1万円 |
U5B | 1964?1970年 | 29.3?30万 | 2万円 |
U7A | 1964?1970年 | 34.2?35万 | 3万円 |
U7B | 1970?1971年 | 36万 | 5万円 |
ここで注目なのが「U3B」。販売価格より買取価格が高い!
もっとも、U3Bが製造されていたころといえば、コーヒー1杯60円、大卒男子の初任給16000円。数字だけを見ると逆転しているように見えますが、そうではありません。
驚きなのは、40年以上前に作られたU3Bが、希少価値も手伝って現在100万円以上で売られることもあるということ。
まさに、数少ない日本製のプレミアムピアノといるのではないでしょうか。U3Bは、2本ペダルでありながら、高額買取が期待できます。
これはこのピアノが、高名な建築家がデザインした希少価値・芸術性の高いものだからだそうです。
当時としては(今でも十分に目を引きます)斬新なデザインのピアノは、その名にちなんでアントニンモデルと呼ばれています。
40年前のヤマハアップライトピアノの買取価格 Mシリーズ
ヤマハアップライトのMシリーズは、小型の木目調のピアノです。アップライトピアノですが、天屋根のフタがグランドピアノのように斜めに開くなど、美しいデザインが魅力のピアノです。音色は深みがあり、小型ですがパワフルな音がします。
機種 | 販売 | 販売価格 | 買取価格 |
---|---|---|---|
M1A | 1965?1974年 | 17.8?21万 | 2万 |
M2B | 1965?1969年 | 22.5?22.8万 | 2万円 |
M2C | 1965?1969年 | 23.2?23.5万 | 2万円 |
M2H | 1969?1972年 | 23.2?26万 | 2万円 |
M1Aの素材はウォールナット、M2Bはマホガニー、M2Cは木目(木材不明)、M2Hはマホガニーです。
40年以上も前のピアノですが、未だ市場では中古ピアノとして売られており、買取も可能です。車なら考えられないですよね(クラシックカーは別ですが)。
メンテナンス次第で長く使えるピアノですが、製造から年数が経てば経つほど状態が良いものは減ってきます。
通常の経年劣化は買取時に考慮してもらえますが、美品なら古いものでも高値が期待できます。
古すぎて、捨てるしかないと思っているヤマハのアップライトピアノがありましたら、まずは買取の査定を受けてみてはいかがでしょうか。